脱普遍的 [日々生活]
最近、脱ぎ捨てることに気持ちがいく。
出してきた音、言葉の意味、価値観、好きなもの、嫌いなこと…。
「普遍的」なこと。
どこでも変わらず、根底に流れている何か。
そんなことに惹かれていたけれど
このところ「普遍的」っていう言葉が自分の中で色あせてきた感がある。
実はそんなものはないんじゃないか。
実は普遍的って作られてきたものじゃないか。
人の持つ大切なものに対する価値なんてかなりゆるいところにあるんじゃないか。
広く普くことって「全ては変化する」ってことだけなのか。
なんてことを空を見ながら思う。
だからって別に日々変化することに何の怖れも感じることはないにせよ
どうやっても脱ぎ捨てられないものって何なのかなと
心の底でうらうらと考える。
秋深しだ。
出してきた音、言葉の意味、価値観、好きなもの、嫌いなこと…。
「普遍的」なこと。
どこでも変わらず、根底に流れている何か。
そんなことに惹かれていたけれど
このところ「普遍的」っていう言葉が自分の中で色あせてきた感がある。
実はそんなものはないんじゃないか。
実は普遍的って作られてきたものじゃないか。
人の持つ大切なものに対する価値なんてかなりゆるいところにあるんじゃないか。
広く普くことって「全ては変化する」ってことだけなのか。
なんてことを空を見ながら思う。
だからって別に日々変化することに何の怖れも感じることはないにせよ
どうやっても脱ぎ捨てられないものって何なのかなと
心の底でうらうらと考える。
秋深しだ。
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